1. HOME
  2. Biography
  3. Chronology
Biography

1969年12月25日、午前8時
鹿児島県鹿児島市西田町で出生

1歳のころ1歳のころ

三輪車に乗って家を出て、行方不明となる

2歳のころ2歳のころ

学芸会で『笠地蔵』の笠地蔵役に抜擢

「傘が足りず、おじいさんに手拭いを掛けられる地蔵の役。微妙に目立つ…」

小学校2年生、東京大学宇宙ロケット基地公園にて小学校2年生、東京大学宇宙ロケット基地公園にて

小学校4年生

音楽の先生が授業に持ってきてくれたトランペットにときめく。数ある楽器の中からトランペットを選んだ理由は「キラキラしてカッコ良かったから」

中学校入学

「1年生で生徒会長になってしまい、大変でした」

ジュニアオーケストラで活躍

このころから音楽が生活の中心となる

ジュニアオーケストラでトランペットを吹くジュニアオーケストラでトランペットを吹く

高校の吹奏楽部でもトランペットを担当

「部活ではほとんど練習をせず、野球をしていてよく怒られました」

高校3年生

ハイドンのトランペット協奏曲を披露。「ハイトーンのDes(レ♭)が出て嬉しかったです」

ハイドン・トランペット協奏曲をステージでハイドン・トランペット協奏曲をステージで

進路決定

「やはり音楽のそばにいたい、と言う想いが強まり、地元の大学の音楽科を目指しました」

鹿児島大学教育学部音楽科入学

オーケストラに所属し、指揮を学ぶ

「当時、大学のオーケストラに、堤俊作先生をはじめとするプロの指揮者がいらっしゃいました。そこでプロの凄さを目の当たりにし、更に夢が大きくなりました」

大学祭で女装コンテストに出場

「無理やり出場させられたところ、余りの気持ち悪さで準優勝しました(無論、私はオネエではありません)」

卒業演奏会で、ブラームスの交響曲第2番を指揮する

鹿児島大学教育学部音楽科 1992年卒業演奏会鹿児島大学教育学部音楽科 1992年卒業演奏会

桐朋学園大学音楽学部附属指揮教室に入室

「憧れにほんの少し近づいてきたと感じ、嬉しかったです。でも現実はそんなに簡単ではありません」

桐朋学園でのレッスン桐朋学園でのレッスン

桐朋学園での想い出

「黒岩先生はとても優しくご指導くださいました。最後のレッスンでの『やっぱり音楽は気持ちが大切だし、もっと自由に指揮をして良いんだよ』という言葉は一生忘れません」

黒岩英臣氏と黒岩英臣氏と

1996年 イタリア・シエナのキジアーナ音楽院でオーケストラ指揮を学ぶ

「チョン・ミュンフン、ユーリ・テミルカーノフ両先生の共通の教えは、指揮はものを数えるのではない、音楽を作るのだという言葉。いまだに出来ません。 そうそうこの時、一緒に受講していたのが、ベルリン・フィル次期首席指揮者のキリル・ペトレンコさん。当時からダントツで凄かったです」

チョン・ミュンフン氏とキジアーナにて、チョン・ミュンフン氏と(1996年)

大阪フィルハーモニー交響楽団・指揮研究員となる

「オーディションの面接で、故朝比奈隆先生に『私の演奏を聴いた事があるか』と訊かれた際、『ありません』と答え、場を凍らせました」

伝説の“ボトラーズ”伝説の“ボトラーズ”(大阪フィル・宮川ポップス)

大阪フィルハーモニー交響楽団・指揮研究員時代

「秋山先生指揮のカルミナ・ブラーナではチェレスタを弾きました」

秋山和慶氏と大阪フィル時代、秋山和慶氏と

大阪フィルハーモニー交響楽団
第327回定期演奏会にて、楽壇デビュー

「定期デビューで朝比奈先生の前座をさせていただくことが決まった当初、ポスターの私の写真は“卒業アルバムの撮影日欠席の子”みたいでした。ところが『彼も指揮者としてデビューするのだから、私と同じ大きさの写真にしなさい』と朝比奈先生が仰って、このポスターになりました」

大阪フィル第327回定期演奏会大阪フィル第327回定期演奏会のチラシ

「この時の燕尾服は大阪フィルの皆さんがカンパして作って下さった大切な宝物です」

大阪フィル定期演奏会で指揮デビュー大阪フィル定期演奏会で指揮デビュー、故朝比奈隆氏と

ウィーンへ留学

ウィーン・シェーンブルン宮殿ウィーン・シェーンブルン宮殿にて(1999年)

「伝統を持たない日本人がどの様に西洋音楽に向き合うかと、とても厳しく指導して下さったレオポルト・ハーガー先生と湯浅勇治先生。お二人ともお酒が入ると、とても優しいおっさんに変わります」

ウィーン国立音楽大学のゼメスター打ち上げウィーン国立音楽大学のゼメスター打ち上げをホイリゲで。写真には、ハーガー・湯浅両氏のほか、ライオヴィッチ氏、ゲルゴフ氏、ブリバエフ氏の姿も

2000年
第12回東京国際音楽コンクール<指揮>優勝

「本選で指揮したブラームスの交響曲第2番は、楽しくて楽しくしようがありませんでした」

東京国際音楽コンクール本選東京国際音楽コンクール本選

2001年
第47回ブザンソン国際指揮者コンクール優勝

「とにかく体力気力でした。言葉は下手なのに、何故かオーケストラととても仲良くなれました。表彰式では、オーケストラは僕に票を入れたと発表があり、嬉しかったです」

リハーサル風景ブザンソン国際指揮者コンクール、リハーサルの風景

ブザンソン国際指揮者コンクール表彰式ブザンソン国際指揮者コンクール表彰式

ブザンソン国際指揮者コンクール優勝

帰国、それから……

2006年
読売日本交響楽団初代正指揮者就任

岩城宏之追悼コンサート ベートーヴェンは凄い!
全交響曲連続演奏会2006

「大先輩達と一緒に舞台に立てて、光栄でした」

桐朋学園の先輩方と桐朋学園の先輩方と

2007年東京都交響楽団第638回
定期演奏会Aシリーズで松村禎三氏の作品を指揮

「後にオペラ『沈黙』を指揮することとは想像出来ませんでしたが、この時、『良かったよ、良かったよ』と手を強く握って下さったのがこの写真です。自分にとって、とても大切な作曲家です」

松村禎三氏、野平一郎氏と都響の定期で松村禎三氏、野平一郎氏と(2007年)

2007年

スクロヴァチェフスキ氏とスクロヴァチェフスキ氏と(2007年)

2011年
広島ウインドオーケストラ音楽監督就任

2012年

井上道義氏、カンブルラン氏と井上道義氏、カンブルラン氏と(2012年)

2014年
京都市交響楽団常任客演指揮者就任

いつもの舞台へ……

いつもの舞台へ

pagetop